※一部PR/コラム
(ハローワークの名前の由来)
・名前の誕生秘話は、戦後の1989年に愛称を募集した事に始まったそうです
ハローワークは、人買い時代背景からうまれたものだったそうです。働き口を紹介する場所は今は当たり前で、現在ビジネス社会構築によって、よりスペック社会が目立ってきた社会構成ですが、うまれたからだは誰のものでもない自分だけのものということを確立しようとしてくれた先人達が創り出してくれた恩恵の1つだったのです
自分で調べられる力がつくと世界観が変わる
世の中にあるものは、何かしら理由があって構築されています。日本は快適な生活が送れるように学校や教育があるのですが、なんのためにあるのか、また、なんのために構築されたのか、などの背景を説明できる案内人は極めて少ないでしょう。だから、多くの方がなんのための学びなのか?理由を知ることもできなし、それで成り立つ社会形成によって疑問を持つこともできなくなっているのでしょう
理由は、情報という形骸化された伝言ゲームになっているからだと考えます。そしてこれからますます情報は増え、覚えることも膨大になるでしょう。だからこそ、教育はもっとシャープに形骸化された情報になるからそこ、多くを知ることができます。そして中身は自分自身でしっかり調べて物事の本質的な背景を学んでいけばとても効率の良い学習環境に日本はなっているわけです。
その調べるツールとして、自分のちょっとの意識があれば、インターネットはあなたが知りたい理路整然とした膨大な情報が宝探しにように埋没しています。今はインターネットの普及によって誰しもが検索することができ、また、誰しもが知っていることを投稿し、共有することができる環境構築がはじまっています。この中から本物の情報をしっかり認識できる見識や洞察力を持ち、早く自ら学ぶという意識改革ができれば、間違いなく人生が変わります
ハローワークは仕事をただ提供する場所でなく、自分の振り返り期間としても気付ければ、自分が働ける環境があることに感謝し、真なる意味で働く目的や意味、自分の役割などに気付ければ、今まで気付けなかった目線には、あなたがしっかり通れる道を先人たちが構築してくれていた「ハローロード」(=ようこそ、待ってましたよ。この道をよく見つけれましたね)ことに気付けるようになるでしょう。そしたら、あなたの働き方の意識は変わり、対応の仕方も変わり、自分の意識のパライダム転換をするだけでこんなにも世界が違うのかと、今までとは違ったスタンスで感謝の気持ちを持って働くことができ、その気づきは、どんな環境でも働くことが少し楽しくなるはずだと考えます
ハローワークのはじまり
・ネット検索すると、この文献が有力かと思います
『季刊労働法』2017年夏号(257号)
「労働法の立法学」47回
「公共職業安定機関の1世紀」
※「検索 1911年 ハローワーク誕生」でタイトル「Nift 公共職業安定所の1世紀」
以下一部を引用・参考
公的職業紹介事業の始まり(人買い背景が発端)
特徴
・手数料なし
・無料で職業紹介
・1901年、東京本所若宮町の私立第一無料宿泊所がここに泊まっている貧困者を対象に無料の職業斡旋を行ったのが始まり
・1906年には東京芝愛宕町の救世軍本部に常設の無料職業紹介所が設置
(日本の切ない人買い背景が発端)
その背景は東北地方の飢饉で、困窮した家庭では人買いに子女を売ることも見られたため、彼女らに女中の求人を斡旋しようとしたのが設立の由来だといわれているそうです
・その後、1907年に大阪婦人ホーム、1909年に東京基督教青年会、1910年に大阪基督教青年会と相次いで宗教団体や慈善団体により無料職業紹介事業が進められましたそうです
・このような民間団体の献身的な奉仕活動は意義深いものではありましたが、人員設備等限界があり、大きな成果は期待できなかったそうです
1909年に内務省が国庫補助を行う
・1909年、内務省は6大都市(東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸)が無料職業紹介事業を設置するならば国庫補助を行う旨通達
・これを受けて1911年1月、東京市が芝と浅草に職業紹介所を設置
・これが日本における公共職業紹介所の始まりでとされているようです
・これより、この動きはその後、他の都市にも広がっていく
・芝と浅草の東京市立職業紹介所は宿泊所を兼ね、浅草には授産場が併設されるなど、社会事業的色彩が濃厚であったということだそうです
(202405)