有)石松 石松ぎょうざ 1袋20個×3セット 4300円込
・昭和28年(1953年)創業
・60年以上変わらない味
・3つのこだわり(厳選キャベツ、国産豚モモ肉、モチモチした薄めの皮)
・円形の餃子焼の中心にもやしをのせるカタチを考案し、のちに浜松餃子と呼ばれるようになった浜松の先駆者です。
(引用サイト 石松餃子)
中国誕生とされる餃子トリビア①
・春秋戦国時代(紀元前770年頃)に黄河下流の山東省で誕生したそうです。
・山東省は、肥沃な農業地帯でもあることから、小麦粉、トウモロコシが主食とされ、さらには中華料理発祥の地の1つともされているそうです。
・山東省では高級品扱いとされ、他地域でも小麦は貴重品で、とくに山間部では小麦の収穫量が少ないため正月だけ小麦粉を使用したり、儀礼食として定着していたそうです。
・中国では、地域によってさまざまな食材でぎょうざは作られてきたそうですが、野菜が多く、肉などは富裕層だけだったそうです。小麦は高級品なため、小麦以外の穀物が使用されていたそうです。
・日本には、中国からの引揚者が日本全国に普及させたとされているらしいです。
(引用文献:Google scholar 干 亜 中国山東省における餃子食の意味と地域的特徴 人文地理 第57巻第4号(2005)
焼き方
浜松餃子の先駆者 石松餃子
宇都宮餃子編トリビア②
・昭和26年:宇都宮で初めて餃子を出したとされたのは、「宮茶房」という名称の喫茶店だそうです。
・昭和28年:宇都宮のシンボルである、大イチョウの下に、一軒の屋台店で餃子を商売の中心に成立させた「蘭鈴」。
・昭和29年:蘭鈴が儲かっているのを見て、「忠次」開店。
・しかし、当時は、豚肉が手に入らなったことや、中華料理がそんなに広まっていなかった。そんな中で、初期の3店舗がなければ、宇都宮餃子としてのはじまりがなかったかもしれないとされています。
・総務省の全国家計消費量調査(餃子の部)で調査がはじまった昭和62年からほぼ1位を取り続けているようです。
・そういった背景から、宇都宮市の戦略は、餃子を「B級グルメの町おこし」として、「餃子の町=宇都宮」という企画を「沼尾さんや市役所広報課の塚田さんチーム」で立ち上げたそうです。しかし、1990年台は、食で町をピーアールするというのは受けれられなかった時代だそうで、当初は周囲からも反対されていたそうです。
・そして、宇都宮餃子ブレイクきっかけになった、平成5年10月からの山田邦子さんMCのバラエティ番組「おまかせ商会」に当時、沼尾さんが市長の名前で手紙を書いたことから番組に取り上げられ、その3年後には、宇都宮餃子に足を運んでくれる方々が増えていたそうです。
浜松餃子編トリビア③
・大正時代後期、浜松市連尺町で、ニンニクが入った「焼餃子」の発祥とされている「東洋軒」というお店があったと言われているそうです。
・昭和28年創業で、浜松駅前の餃子屋台がはじまりとされる「石松餃子」。円形に餃子を並べて焼き、中央に山盛りのもやしを乗せる。これが、浜松餃子のカタチにもなったそうです。
(②③引用文献:Google scholar 1140430熊倉健成 宇都宮市と浜松市の餃子戦争について 高知工科大学 マネジメント学部)
石松餃子 実食レポ
・冷凍から直接焼けるのでとても便利だと思いました。
・水を200cc入れるので、多い印象でした。しかし、この水分量がもちもち皮に必要量。
・食べてみると、カリっとした部分ともちもちした噛み応えが最高に食欲を盛り上げ、臭みが全くなく、あっさりしたジューシーそのもので、キャベツと豚肉の割合も丁度良く、たしかに、どんどん食べれる餃子でした。
・そして、タレがすごい美味しさでした。酢醤油の酢は、まろやかな酸味で醤油のとがった塩分味感もなく、2つがバランスよく融合した甘めのタレで、あっさりジューシーな餃子にピッタリだと思いました。普段なら、自分なりに調味料を足したりするのですが、この特製ダレには何も足すことがなかったです。量も丁度良かったです。
・次はもやしをそえて食べてみようと思います。
(20220506)(202207)
参考